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シンガポール景観派遣研修録

Report

「H17年度 シンガポール景観派遣研修に参加して」   鬼束 耕太郎

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シンガポールから福岡空港に降り立ち、国際線ターミナルから移動するバスの中、外の町並みに目をやると、「やはり日本はこうだよな」と心の中で呟いてしまった。
いかに昨日までいたシンガポールの町並みが洗練され、ここち良かったか、この福岡空港周辺を見ただけでも日本の都市景観の現状に落胆してしまう自分がいた。

日本は確かに経済的には戦後の高度成長期を経て世界でも上位の経済大国となった。
しかしそこに生活する人の住み良さや暮らし良さまでも考える余裕があっただろうか?
とにかく世界に追いつけ追い越せ、ただそれだけで都市を開発してきたように思える。

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今回、この景観派遣研修の一員としてシンガポールを訪れ、街自体が人に与える「ストレス」の「差」みたいなものを肌で体感できたように感じた。
そこにいるだけで「ここちよい街」、「美しいと感じる街」そんな「街」の印象だった。

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町並みは、国策に沿って計画的に開発、整備された都市の景観とはいえ、緑の多さはもちろん、屋外広告物の少なさや、色合いが統一されている建物、そこにいる人全てに洗練された印象を植え付けてしまう、そんな町並みだと思った。

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特に、私は職業がら研修の中心を屋外広告物におくこととしたが、特記すべき事項としては、建物の屋上広告塔は全くといっていいほどみあたらない。
壁面の広告もせいぜい3階くらいの高さまでにしかなく、その数も極めて少ない。
また、突出し広告も極端に少ない。

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ここには日本の一般的な広告の計画概念などはまったく見当たらない。
シンプルで最少に制限された条件の中でいかに機能的にその効果を発揮するか、計画にも洗練された印象を持った。
日本みたいな「我が一番」「自分さえ良ければ」的な規制を無視したような広告はまったくない。

確かに広告物が厳しい規制を受けている事はわかるが、ここまで規制が徹底するとこんなに気持ちいいとは私自身も少し驚きであった。

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また、道路標識も含めて、人の頭上に位置する広告はほとんどないので、圧迫感がない、標識、サインなどのほとんどが4m未満の高さくらいに押さえられていて、歩いている人や、車で走っている人などには十分にその機能をひかえめに果たしているといった印象だった。

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かと言って、そんなに広告物がないのかというとそうでもなく、「配置」の仕方がうまいと言えばいいのかもしれない。
「賑わい」が必要な街の中心部にはちゃんとどこの都市にもありそうな町並みがある。
しかしどれもデザイン性にとんでいて、いわゆる「げさく」な印象はどこにもない。

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少し街を離れると、それらの広告もまったく目にはいらなくなる。
緑地帯がうまく配置されていたり、広告の高さが低い場所にあるので、遠方からは目立たないという印象だった。
広告物が都市計画の中にちゃんと計画されて、「配慮」と「整とん」の中で有効に「配置」されている印象だった。

宮崎に戻って一ヶ月が過ぎた。
街なかを車で走るたびに、屋外広告物がいかに景観を破壊しているか、いまさらながらにいやになってくる。
その関係者としては心が痛むばかりだ。
この国は経済を優先してきたあまり、景観などに配慮する暇もなかったのかもしれない。
シンガポールは小さな国で、その国土のほとんどが国有地であることを考えると、都市計画はやりやすかったのかもしれない、しかしそこには景観に対するしっかりとした「理念」があるように思える。

私達は、人間として気持ち良く暮らしていける地域を形成していく責任があると思う。
代々受け継いできたこの土地を次の世代にきちんと引き継いでいく義務があると思う。

「今がよければ」とか「我がよければ」を捨てて、美しい宮崎づくりを今からでも始めなくてはいけないと思う。
そこにはしっかりとした景観にたいする「理念」が必要だろう
し、今回の研修はそんな思いを思い揺り起こす意味からも大きな収穫があったように思える。

前途多難な問題がある事は周知の上で、まずは私達が景観啓発活動の中心的存在となって、官、民協力の元、まずは九州に誇れる「宮崎市」を目指して前進していく必要があるように思える。
「きれいな街」というだけで、全世界から観光客が訪れる街「シンガポール」、観光宮崎の再浮上のヒントがここにもあるような気がしてならない。 

〔鬼束 耕太郎〕


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